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広島高等裁判所岡山支部 昭和29年(ネ)134号 判決

主文

原告の控訴はこれを棄却する。

原判決中被告宝三同岸野各敗訴の部分を左のとおり変更する。

被告宝三同岸野は各自原告に対し金三〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和二七年一二月二八日より完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

被告宝三同岸野に対する原告その余の請求はこれを棄却する。

原判決中被告和子敗訴の部分を取り消す。

被告和子に対する原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ原告と被告宝三同岸野間に生じた部分はこれを一〇分し、その九を原告の負担とし、その一を右被告両名の連帯負担とし、原告と被告和子との間に生じた部分は原告の負担とする。

この判決は原告において執行前被告宝三同岸野に対し担保としてそれぞれ金一〇、〇〇〇円を供託するときは原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

昭和二五年一〇月二八日訴外藤本孫六夫婦の媒酌により、原告が被告宝三同岸野間に生れた長女被告和子と事実上の婚姻をして被告等三名と被告方に同居し、被告家が田八反、果樹園五反を有する農家であつたので被告等とともに農業に従事していたところ、被告岸野と原告は従姉弟の間柄でもあつて当分の間は家内円満に生活していたこと、ところが原告はそのうち脊髄カリエスに罹り、翌昭和二六年六月一二日頃岡山市内の〓原病院に入院し、同年八月初旬快方に向つたので退院し、一先ず被告家に帰つたが、同月一五日頃より実家において養生し、翌九月二七日頃被告和子が迎えに行つて被告家に帰つたこと、しかし原告が依然として病弱で農業に従業できなかつたので被告宝三は他にも病気があるのではないかと疑い、当時原告に勧めて岡山市内の赤十字病院で診断を受けさせたところ、蛔虫と十二指腸虫が寄生しているとのことであつたので、原告は同年一〇月初旬より実家に帰つて養生をした上同年一二月三〇日被告家に帰つたが健康勝れず、翌二七年六月上旬被告和子と夫婦喧嘩をして同衾しなかつたこともあり、同月一二日頃被告宝三と口論したこともあつて、同月一四日実家に帰つたこと、及び現在では原告は婚姻して他家に入つて円満な生活を営んでおり、被告和子も他に嫁いでいることはいずれも当事者間に争がない。原告は被告和子と事実上の婚姻をした際、同時に被告宝三同岸野と事実上の養子縁組をなし、原告は将来被告宝三の後を継ぐ者として予定されていたと主張するが、これを確認するに足る証拠はない。ただ本件に顕われた証拠とわが国従来の慣習からすれば、被告方は農家であつて男の子がないところへ、長女和子の婿として被告を原告方に迎えたことは、被告岸野と原告とが従姉弟同志であつたことと相俟つて、原告が将来被告家の後継者として原告はもとより被告等においても、これを期待していたことは察するに難くないけれども、原審証人藤本孫六、原審ならびに当審証人経広小仙の各証言によつても右婚姻予約と同時に被告宝三、岸野夫婦との間に養子縁組までも予約が成立したものとは解し難いから、その不履行を前提とする原告の請求は失当であつて棄却を免れない。

そこで原告と被告和子の事実上の婚姻関係が破綻するにいたつた事情について考察する。

以上認定の事実に原審証人経広正男、原審並に当審証人経広小仙の各証言及び原審並に当審における原告本人尋問の結果を綜合すれば次の事実を認めることができる。

即ち昭和二六年の正月に原告が雑煮の餅を食べていた際被告岸野が原告に対し「餅を七つも八つも食う馬鹿はいない」との趣旨の言辞を弄して原告を非難したこと、(この事実は原審第一回被告岸野本人尋問において同被告が自供している)。又被告家においては各自が飯櫃より御飯をよそつて食べていたが、原告は他家からまた遠慮もあつて一番先に食べることもできず、仕事の都合で夕食は最後となることもあり、この場合には残りの量が不足し空腹で我慢したこともあつたこと、尚同年四月頃までは煙草銭その他居村における交際費等も原告の所持金より支弁していたこと、原告が冒頭認定の如く脊髄カリエスに罹り〓原病院に入院した際被告宝三夫婦は見舞に行かず、原告が内心希望していた栄養物或は娯楽雑誌等も届けず、原告は大いにこれを不満としていたこと、又原告が退院する際費用の不足分を原告の実家より貰つたうちより足して支払つたこと(その額につき原告は本人尋問において二、〇〇〇円ともいい(原審)、三、〇〇〇円(当審)とも供述している)。原告が退院して後同年八月一五日頃より同年九月二五日頃までの間実家で養生して被告家に帰つた際、被告岸野が「仕事もできないのに何しに戻つたか」と放言したこと(このことは原審第一回の本人尋問において被告岸野が自供している)。その後前記の如く寄生虫の駆除及び病気療養のため同年一〇月初旬より一二月三〇日まで実家に帰つたが以上二回の自宅療養の間被告等は一回も見舞に行かなかつたこと。同年一二月三〇日原告は実家の者より「被告家で辛棒する気なら年内に帰つてはどうか」と勧められ、同日より又被告家で生活することとなつたが、原告が病気勝であつたことも手伝つて被告等との折合も円満を欠いたこと。そうしているうち翌二七年六月初旬被告和子と些細なことより口論し、それより後一〇日間程和子は同衾を拒んだこと。その頃原告は村の神社の建前で飲酒し、訴外者某と口論したため被告宝三に叱責せられ、これに反撥して被告家を出たが、同月一二日帰宅した際、被告宝三は原告に対し「何も言わずに出て心配させた。どんな面をして戻つたか」といつたので原告も「心配したといつても一向心配していないではないか」とやり返し、夕食の際被告宝三が数回じろじろ原告の顔を眺めたので原告は大いに不快に思つていたところ、宝三が入浴中被告岸野が他の者と「仕事もせずによう飯が食える。トーチカだな」と話していたのを聞いて原告は激昂し、「腹がすいてしのげんからうどんを食べにいく」といい残して家を飛出したこと。そのため同月一四日被告宝三より「お前のような者は家に置けぬ」ときめつけられ、これ以上堪認できずとして離別を決意し実家に帰つたが、以上の期間を通じ被告岸野は遠慮なく原告を叱責非難し、被告宝三は平素はともかくとして仕事の面では厳格であつたようである。如上認定に反する各被告本人尋問の結果は信用できない。

被告岸野は原審の第二回本人尋問において「原告と従姉弟の間柄であつたので被告宝三に気兼して少しはずけずけいつた」と供述しているが、第一回本人尋問においては「少し言過ぎであつたかも知れぬ」と供述している点よりすれば、被告岸野が原告に対して口やかましかつたことが、うかがわれるのである。そして他面原告が本人尋問において供述している如く、被告家における労働は従前原告家にいた当時のそれと比較して大差なく(当審)夕食は不十分であつたがそのことを被告等に告げたこともなく(原審)、小使銭等も前記の如く昭和二六年四月頃まではこれを要求した事実はなく(原審並に当審)、〓原病院より退院して一時実家に帰り療養したときは被告和子が迎えに行つて被告家に帰つており、その際被告岸野が「仕事もできぬのに何しに戻つたか」と放言したに対し被告宝三は傍で被告岸野を窘めているのである(原審並に当審)。又原審における被告和子、岸野、原審並に当審における被告宝三各本人尋問の結果(いずれも一部)を綜合すれば次の事実を認めることができる。

被告宝三夫婦が前記の如く原告に小使銭を与えなかつたのは原告より要求がなく、その程度の金は持参していると思つたからで、与えなくてもよいと考えていたものでもないし、原告の〓原病院に入院中被告夫婦が見舞に行かなかつたのは医師の診断の結果病気はさして重くないので、付添を置くほどのこともなく、病院で給食するとのことであつたのと、当時田植や桃の出荷等で多忙であつたためでもある。被告和子は二、三回原告を見舞い、自作の桃を持参して原告を慰めており、前後四〇日余に亘る入院の費用のうち原告が支出したと強調している分を除くその余は被告家より支出しているのであるし、原告が飲酒の上他と口論した際被告宝三が原告を叱責したのは将来を戒める意味もあつた。又被告和子が同衾を拒んだのは、被告和子は原告とともに両親等と別居してもよいと考え、原告にもそのことを話したが両親が賛成しなかつたところ、原告は被告和子に対し「別居するなら自分が相続人で相続する権利があるから財産を分けてくれ」とか「慰藉料を出せ」と執拗に迫り、同被告を脅したりしたので昭和二七年二月頃には同被告もそれまでの原告に対する愛情もなくなり別離するもやむなしと考えるにいたつたが、たまたま口論した際それが表面化したものである。昭和二七年になつてより原告が一段と神経質となり、些細なことにもよく立腹していたことは原審における原告本人尋問においてこれを自認しているところである。

これを要するに当初は原告と被告等は大体において円満に生活していたが、原告が脊髄カリエスで入院して家業に従事することができなくなつてより漸次原告と被告宝三夫婦との間に感情の溝ができ、昭和二六年一二月三〇日原告が自宅療養して被告家に帰来して後も原告は病気で寝る日もあり、神経過敏となつて明朗さを欠き、被告等も原告が病気で寝ればふて寝していると誤解して相互に対立し、それが積り積つて終に婚姻関係が破綻するにいたつたのであつて、原告が被告等に不必要に気兼して卒直に希望を述べず内心で不快として煩悶し、融和について積極的に努力しなかつたのもその一因であるし、当審における被告宝三本人尋問の結果により明らかである如く、被告等は働き手を貰つたと思つて喜んだのに原告が病気となつたので期待が外れ、その不満失望が折に触れては表面化し、被告岸野が愚痴をこぼしたことも有力な原因となつていることも否定できない。

以上のとおりであるから事実上の婚姻が解消したのについて原告自身にも責任がなかつたとはいえないが、それにしても被告夫婦の原告に対する冷淡な態度が病気のため神経過敏となつていた原告を刺激したため破局を見るにいたつたことは見逃すことはできない。

ただ被告和子に対する関係においては原告が同被告を非難することのみはできない。同被告は両親と原告との間にあつて板挾となり苦労したが、原告の無理な要求からやむなく離別を考えるいにいたつたので、破綻の責任は寧ろ原告にあるといつても過言ではない。それゆえ被告和子に対する原告の慰藉料請求もまた失当であつて棄却を免れない。しかし上来認定した如く被告宝三同岸野夫婦の原告に対する仕打が本件婚姻予約を破局に導いたのであるから、その責任なしとすることはできず、原告が精神上相当の苦痛を受けたことは当然であるから各自これを慰藉する義務を辞するわけにはいかない。

以上認定の事実に原審における被告宝三本人尋問の結果(一部)により認められる被告家の財産及び家庭の事情、原告本人尋問の結果により認められる原告の経歴その他諸般の事情殊に、前認定の如く、原告が本件婚姻予約により被告方に迎えられたことおよび原告が男子であることと既に他家にあつて円満な家庭生活を営んでいることを参酌し如上慰藉料額は三〇、〇〇〇円を以て相当とする。

従つて原告の本訴請求は被告宝三同岸野に対し各自金三〇、〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかである昭和二七年一二月二八日以降完済まで年五分の割合による損害金の支払を求める限度において正当であるがその余は失当として棄却を免れない。

よつて民事訴訟法第三八四条第三八六条第九六条、第八九条第九二条第九三条第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅芳郎 高橋雄一 林歓一)

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